『忘れないと誓ったぼくがいた』平山瑞穂

『ラス・マンチャス通信』がどこまでも座りの悪い微妙な嫌さを味わう作品だとしたら、こちらはどこまでもウェルメイドな口当たりの良さを楽しむ作品。そのあまりにあざといやり口に負けまいとしたのですが、半分読んだ時点であっさり降参。フレンチのお店のシーンで涙ぐんでる自分弱すぎ。読み終わってから装丁を眺めるとしみじみ切なさが倍増しますね。来年の本屋大賞はこれでひとつ。あと成海璃子あたりで映画化もどんと来いです。

忘れないと誓ったぼくがいた

忘れないと誓ったぼくがいた

現代の純愛小説を成り立たせるための要件のひとつとして、「好意を抱いた相手を不可抗力によって永遠に失う」ことがあげられるわけだが(そしてふたりはしあわせにくらしました、は通用しない)、これは往々にして主人公を安っぽいセンチメンタリズムに陥らせる危険を孕んでいる。「がんばったけど彼女を救えなかったボク」だ。そこでは「ボク」は無批判かつ無反省に過去をむさぼることができる。その罠から逃れるために作者がとった作戦はごくごく簡単なものだ。「ボク」にも試練を与える。彼女を失ってしまうこと以外に。かくして「ボク」は、『メメント』の主人公あるいは『博士の愛した数式』の博士のように、自分自身の記憶が消えていくこととも戦わなければならなくなったのであった。もちろん最後には、彼女にまつわるリアルな記憶は消えてしまい、「忘れないと誓ったぼくがいた」事実だけが残されるわけだが、それは「対象の喪失」であるとともに「自己の喪失」でもある。初恋を単純に美化することさえできない自意識のありようは『ラス・マンチャス通信』と相通ずるものがあるのではないか(と無理やりまとめてみました)。(ちなみに作中の一人称は「ぼく」であって「ボク」ではありません。いまどき「ボク」は気持ち悪いよね。)